読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『文脈病』 斎藤環著

長い間、私は精神分析に興味がなかったのだが、それは精神病理によって作品を研究するパトグラフィーのくだらなさに辟易していたからである。私にとって作家の作品はそれ自体で価値があり、何らかの精神病理に還元しうるものではありえない。そのような研究には何の発展もなく、創造性のかけらもない。ズバリ言えば、そのような研究に価値があると思う研究者の精神自体に何らかの病理があるという疑いを持つ。おまえが言うか!というわけである。
この本はそうした反発や嫌悪感を見事に払拭してくれる。著者は精神病理の臨床医なのだが、相当な名医かもしれない、読みすすむうちに転移を感じてしまう。つまり誠実さを感じるのである。誠実の定義は人それぞれだろうが、私は自己認識が出来ている人と捉えている。
著者はパトグラフィーありきで議論を進めるのではなく、「パトグラフィーの倫理」を問うのであるが、それは表現者の病理と受容者の病理との関係性の中に創造の可能性を見出そうとする試みである。つまり精神病理の専門家である自分自身の病理をパトグラフィーの中に繰り込んでいる。このようにフーコーの言う「理性の内的独白」を回避しうる視点を持ち出されると、確かに精神分析への反発がいくぶん緩和されるのである。そうした視点自体が創造的であり、著者の議論に付き合ってみようという気が生じてくる。
この本の序章と後半は相当難解である。それはそうだろう、レヴィナスドゥルーズラカンなどがてんこ盛りだから難解であるのは当然である。しかし中間の作品解説は事例が豊富で分かり易い。著者がとりあげる作品は漫画や映画など多岐にわたっており、文芸作品も内田春菊西原理恵子などである。これは一見、オタク世代に迎合しているように見えるのだが、そうではない。著者によると映画、漫画、アニメと段階を追って表現の自由度が狭まるのであり、そうした自由度の違いが表現のあり方に影響するというのである。例えば最も自由度の乏しいアニメには「お約束」が必要ということである。著者は様々なジャンルを表現水準の差異として捉えており、単なる好奇心ではないようだ。(本音では好きなのかもしれないが、研究書の姿勢としてはスジが通されている)
著者の「文脈」概念は様々な応用が可能である。文脈とは人が単独者である限り、各人それぞれが異なる文脈をもっているということであるが、このため日常的に文脈間の葛藤が生じている。著者によると一発ギャグが笑いをもたらすのは、既存の文脈とは異質の文脈を呈示することによって、既存の文脈間の葛藤を破壊してしまうからである。著者は明言していないが、この考えによると、「空気が読めない」というのは、異質の文脈が既存の葛藤を破壊することに失敗して、新たな別の葛藤を生み出すことであると説明できる。
一発ギャグと「空気が読めない」というのは、既存の文脈と無関係という点では紙一重の差である。ただ一発ギャグはあまりにも無意味なので、KYなどと非難すること自体が馬鹿らしいのである。だが失敗したギャグは確かにKYである。
そういう意味で、文脈ずらしという技法は漫画でしばしば見られるが、異質の文脈を無意味なものにするという技法は、著者も言及している『がきデカ』(山上たつひこ)の「死刑!」という決めセリフであろう。山上ファンの私としては著者の指摘にインスパイアされてさらに敷衍すると、この技法が極限まで発展したのが「あふりか象が好き!」というセリフであり、まさに無意味の極北である。しかし、そこから、「無意味な文脈を呈示する」という新たな意味が生じてきて、異質であるはずの文脈の破壊力が次第に衰弱していったように思う。「八丈島のきょんっ!」や「おんせんこけし!」にはもう破壊力が失われているのではないか。このように著者の文脈概念を使うと、それまでなんとなく笑いがとれてないと感じていたことが、技法論として説明できる。だから『怪僧のざらし』はフィールドを別に移すことで成功しているのである。
さらに本書から離れるが、『資本論』における「ここがロードスだ、ここで飛べ」や「パリはミサに値する」などという決めセリフも何となくカッコいいと感じていただけだが、これも理論的文脈の葛藤に対して異質の文脈を挿入することによる一発ギャグの効果かもしれない。村上龍の小説から受ける高揚感も文脈ずらしの効果があるようだ。
著者が紹介する漫画家は大島弓子吉田戦車などkindleで入手できるものが多いので、私も参照してみたが、特に大島弓子の『バナナブレッドのプディング』は恐かった。笑っているうちに凍り付くような恐さがある。ここまで水準の高いホラーはみたことがない。少女漫画リテラシーのない私には、こんな恐い漫画は初めてである。吉田戦車の『ぷりぷり県』は一見すると私の嫌いな県人愛の自虐ネタのように見えるのだが、それをはるかに超えている。この奔放な発想は確かに天才的であり、「コウモリ農業」や「シンデレラの墓」には完全に参ってしまった。著者の解説は的確なのだが、やはり作品自体にそれをはみ出すような価値があることは言うまでもない。
この本は最初に軽くジャブを入れ、中間でひきつけて、後半でノックアウトするという構えであるが、後半は相当な前提知識を必要とする。だが、分かるところだけでも充分読む値打ちがある本である。