『<主体>のゆくえ』 小林敏明著

この本の題名からはフロイトラカンの解説を想像するのだが、内容は日本における主体概念の受容史である。あてがはずれたように思ったのだが、期待にたがわぬ斬新な視点で圧倒される。
著者は主観Subjektについてハイデッガーに張り合うような緻密さで語源探索を行うのである。元々の意味は、ギリシャ語のヒポケイメノン(基体)のラテン語訳からドイツ語となったようであるが、アリストテレスの実体概念の四つの意味の一つであると同時に述語とされないものである。(述語とされないので主語とされるのは、その後の解釈である)
したがって、それは元々は実体としての意味であり、当時の実体は神だけであったが、デカルトが精神も有限実体にしたので、人間精神が実体として一人歩きし、カントによってSubjekt=主観という対応が確立され現代に続いているということである。
したがって語源を遡れば、主観が解体するというニーチェハイデッガーの主張は奇異ではないことになる。
このSubjektとObjektを主観・客観と翻訳したのが西周であることは高校倫理の知識だが、著者によると西周は西洋の哲学・論理学を受容した際、哲学においては此観・被観と訳し、論理学においては主位・属位、あるいは主格・客格と訳したという。
これは原語自体に潜んでいるアリストテレスの実体と主語という多義性のぶれが、翻訳に反映したとのことである。
私は<主観>という言葉に、意識をもった自己というイメージをもつのだが、<観>という語は観点であり実体の意味はない。西周の最初の訳語のように此観・彼観という訳語であれば、主観と客観との違いは、こちらの観点とあちらの観点の違いでしかないことになる。
この<観>に論理学の主格・客格の主客が結合して、主観・客観という訳語になるのだが、そうなると<観>の意味が薄れ、主・客が前面にでてきて、私と対象という実在的なイメージが生成するが、一方で<観>である以上、実体でもないのだが、そのことを忘れてしまうのである。自分の思考がいかに翻訳語に左右されているかが分かる。
さらに主観だけでなく、主体という用語を使いはじめたのは、著者によると西田幾多郎ということである。著者は次の西田の文を引用している。
「真に活動せる物の本体といふのは、実在成立の根本的作用である統一力であつて、即ち真正の主観でなければならぬ」(『善の研究』)
昔、『善の研究』を読んだ時、確かにこの文を読んだはずだが、何の違和感もなかった。しかし、著者によるとこの文は奇妙であるという。なぜなら、この文によると主観が活動していることになるからだ。主観が立ったり座ったりするのは確かにおかしい。それに気づかないとは、いかに言葉に対する感性が鈍磨しているかと思い知らされる。
著者によると西田はそのことを自覚して、行動を重視した時期から主観という用語を捨て、主体という用語に統一したということであり、このような主観から主体への変遷は、「主」という言葉のシニフィアンの戯れとして日本独特のものであるという。
哲学の解説書は数多あるが、こういうアプローチで解説している本はみたことがない。これまでの浅い読みを覆すような驚きがある。外国語どころか日本語さえも疎かにしている。
西田が主体という言葉を必要としたのは、具体的にはマルクスの次のフォイエルバッハ・テーゼということである。
「従来の凡ての唯物論フォイエルバッハのも含めて)の主要な欠陥は(中略)実践として捉えられず、主体的Subjektivに捉えられていないといふことである」(三木清訳)
三木清訳ではすでに「主体的」だが、原文はSubjektivである。これを当時の用語で「主観的」と訳したのでは意味が通らず明らかにおかしい。このことからもSubjektを西周のように「主観」とするのはSubjektの実体的性格を無視していることが分かる。西田自身はSubjektivを省略して、「実践として捉えなければならぬ」と訳したということであるが、弟子の三木清が補って改訳し、以後、他の翻訳者も「主体的」に追随したということである。
この頃から日本において「主体」という用語が定着したということであるが、そう言われてみると、確かに「主体」という言葉には左翼的な響きがある。
そして三木清において、この「主体」概念が、主観からだけでなく実体からも切り離されていくのである。
著者はそれがハイデッガーと西田哲学の影響によるものと指摘するが、影響の内容までは触れていない。しかし、著者による西田哲学の説明から明らかである。西田の述語論理からすると、超越的述語面である無の場所こそが主体であるから、アリストテレスの実体から離れることは自明である。
さらに和辻哲郎も「活動実践としての人間の主体的存在」を重視し「間柄」を強調していくわけであるが、これらの「主体」概念の背景に主客未分の超越的述語面があることを考えると、「主体」には「無」という「一種宗教がかったシニフィアン」が重ね合わされることになる。不用意に「主体」を使用すると京都学派の思想文脈に取り込まれるおそれがあるかもしれない。
著者によると戦後の主体性論争も、唯物論の立場からすると主体性の擁護が京都学派のイデオロギー擁護となることへの反感に由来するとしている。
さらに著者は『資料戦後学生運動』まで参照して、学生運動の当初は使用が避けられていた「主体」が運動の高揚期において余計な理屈づけを捨て、剥きだしの「主体性」がシニフィアンとして氾濫したとみている。自己否定の対象でもあり変革の対象でもある主体として、次の文が引用されている。
「情況に密着した思考は情況を切開しつつ普遍性を獲得してゆくが、それは思考する主体の否定と変革を伴って可能となる」(山本義隆『砦の上にわれらの世界を』)
以上のように要約すると、だから何なんだという感想が生じるかもしれないが、著者の論考は結論ではなくプロセスに魅力があり、西田哲学やその後の日本思想について、これまでとは異なった読み方を誘発する力がある。それは読者が自ら取り組むべきである。なにもかも受身では主体的とはいえないであろう。