『生き延びるためのラカン』 斎藤環著

そろそろ手強い本を読んでみたいと思うのだが、また安易に入門書を読んでしまった。
ドゥルーズの『アンチ・エディプス』には関心があるんだけど、そもそもエディプス・コンプレックスが何であるか分からんのだから、読んで分かるわけがない。
では手っ取り早くエディプス・コンプレックスを知ろうとしても何を読んで良いのか分からない。色んな概説書・入門書の類を読んでみたが、腑に落ちたためしがない。去勢とか言われても実感が湧かないのである。
ならばフロイト著作集ではどうかと思って参照してみても、それがどこに書いてあるのか分からない。全巻読むのはシンドイ、やめた。というプロセスで現在に至るのであるが、こんな良書があるとは知らなかった。
著者のエディプス・コンプレックスの説明は腑に落ちる。なぜそれがそれほど重要なのかもよく分かる。エディプス・コンプレックスを通過しなければ人は言語を獲得できず、人間になることができなかったというのだから、これほど重要なものはないだろう。
どうも近親相姦願望というのは表面的な理解であって、母親との一体化による全能感が父親によって削減(去勢)されることにポイントがあるようだ。その穴埋めとしてファロス(象徴としてのペニス)を獲得することが、象徴としての言語を獲得することに繋がるらしい。そして言語という代理物を獲得したことによって現実を失うのである。その現実喪失が逆に言語による自由な想像の世界を開くことになる。
こうした幼児の心的世界を一連の流れとして把握することが重要であって、個々の概念やどぎついネーミングにとらわれて一々反感が生じたのでは理解できるはずもない。
すると次の疑問が生じる。フロイトラカンにとってそれほど重要なエディプス・コンプレックスドゥルーズはなぜ簡単に批判できるのか。ドゥルーズほどの読み手が近親相姦願望への批判というような底の浅い批判をするだろうか。もし有効な批判であれば無意識、言語、象徴などに関してどういう代案があるのか。あらためて『アンチ・エディプス』に挑戦したい気が起きるのだが、はやる心をおさえてこの本を読み続けることにする。なにしろ分かり易さに関しては超一級であり、認識が広がってゆくのが確実に実感できる本だ。読まないのはもったいない。
著者によると自己愛とは自分を愛することではなく、自己のイメージを愛することであり、イメージは変形可能だから他人を愛することへ繋がるという。つまり原初の自己愛において既に非自己(鏡像段階のイメージ)を志向しているのだから人は必ず自己愛を経過しないと他人を愛するようにならないというのである。さらに他人を愛すると思っていてもそれは他人に投影された自己イメージを愛しているだけかもしれないというのである。
在職中あまり出世できず、ひきこもりの日々を送るジジイの書くものには、自己愛のイヤ汁がプンプン感じられるのだが、誰もが一度は通る道であると思えば気も楽になってくる。
フェチシズムの話も興味深い。下着フェチなどは、下着を集めて想像想像・・・という変な人達と思っていたのだが、原因は幼児期の母と一体化した全能感の喪失(母にペニスがないことの発見)に関係があるらしい。つまり下着の段階に固執するのは喪失という現実を見ないということであり、別に中身を想像しているわけではないとのことである。
これは喪失を見ないですませる方法だが、逆に喪失したファロスを求めるという方法もある。すべてのマニアに共通しているのは、蒐集したモノの奥にファロスを求めていることであり、だから一人で部屋で楽しむことが可能なのだ。物自体ではなく物の機能に関心がある、つまりスペックへのこだわりもファロス願望の現れというわけである。
これに対し女性の物への願望はファロスではなく関係性にあるので、女性がブランド品などを部屋で一人楽しむことはなく、人に見せるのが好きなのもこの辺に理由があるということである。この辺は女性にプレゼントするとき大変参考になる。こだわりの珍品よりも、世間一般が好むものが良いようだ。
またファロスは象徴としてのペニスであり、象徴としての言語へ繋がっているので、女性の哲学者がアーレントクリステヴァなどを除いて少数であるのは、ファロス願望がないからということで、うまく説明できている。
もちろん小説や評論などの文筆活動を行う女性はたくさんおられるのだが、哲学となると、言葉による世界構築の全能感追及みたいな感じになるのかもしれない。「別にそんな全能感いらないし・・・」というわけだろう。
フロイトの『精神分析入門』は様々な反論を想定しながら誠実に話を進めていて読みやすいのだが、反面、快刀乱麻を断つという感じではない。そこが逆に効果的であり、無意識の実在感が半端ないのだが、精神分析の基本的な構図がつかみにくい面もある。こういう入門書でイメージをつかんでから精読するのも悪くないと感じた。