『20世紀美術』 高階秀爾著

この本は逸話を交えた親しみやすい内容であるとともに、論述も雄弁であり納得させられる。
著者はまず絵画と彫刻の歴史を、オブジェとイマージュの二元論で解釈している。
古典芸術の絵画は二次元のイマージュによって想像上のオブジェ(モナリザ、聖母子など)を追求するものであるが、現代芸術は絵画が現実のオブジェ(絵具)に過ぎないという発見に基づいているということである。
デュシャンが複製のモナリザに口髭を描き加えたのは、絵画が想像上のオブジェへ向かうことを阻止し、現実のオブジェであることを示したということである。
また現代芸術における画家が廃棄物や陶器などに関心があることや、彫刻芸術が興隆したことなども、現実のオブジェに対する関心が高まったことを示している。
コラージュとは現実のオブジェ(新聞紙、布など)を2次元のイマージュに統合するものであり、レリーフは逆に2次元のイマージュを現実のオブジェに統合するものとして説明されている。
著者はフォンタナの空間芸術をその極限とみている。つまり単一色のキャンバスはイマージュの極限であり、それがそのまま裂け目によってオブジェとなっているというわけである。
さらに著者は「分化」と「強調」という二軸により、キュビスムとフォービスム、新造形主義と表現主義スーパーリアリズムコンセプチュアルアートに至るまで、現代芸術における様々な流派や主義の配置を明快に説明されているが、それにも関わらず、読後感が今一つ曖昧となる原因は、著者にとって絵画の美とは何かが正面切って論じられていないことによるものと思われる。
だが次のように、そのことを推測させる部分がある。

われわれ人間は自己自身も含めて無数のオブジェの只中にあって、それらのオブジェを主としてイマージュのかたちで把握している存在ということになる。(本書35頁)
事実、イマージュの世界は、われわれにとって無限の感覚的喜びの源泉である。(36頁)
アリストテレスの言う「有用性を離れてそれ自身のために愛される感覚」が芸術を成立せしめる基本的な条件となる(36頁)
絵画や彫刻という「造形芸術」は、それがすべてではないとしても、イマージュの持つこのような感覚的喚起力に基礎を置いている。(37頁)

これはオブジェとイマージュが何であるかを説明する部分であるが、絵画の美が何であるかを説明するものとしては、この部分しか見当たらないので、これが著者の美についての見解と見なしてよいであろう。
するとイマージュなしで芸術はありえないということになる。
現代芸術においてオブジェが重要であるのは、オブジェそれ自体が重要なのではなく、オブジェとイマージュとを混同している写実主義が「虚構のイマージュ」だからである。
つまりオブジェから触発された「モティーフ」こそが真のイマージュであり、「主題」はオブジェとイマージュを混同しているというわけだ。
したがって漫画の印刷網点を拡大強調するリクテンスタインやマリリンモンローの写真の色を変えるウォーホルは、素材がオブジェであることを強調し、作品が想像上のオブジェへ向かうことを阻止するのであるが、(デュシャンの髯のモナリザも同様である)それらは、オブジェ自体を芸術としているのではなく、現実のオブジェを使って真のイマージュを産み出しているのだ。
このことは現代芸術がオブジェであるからといって、それを物そのものとして見たところで鑑賞にはならないことを意味する。印刷網点は印刷網点に過ぎず芸術ではない。それらが指し示している真のイマージュを捉える必要がある。
現代の芸術家が指し示している真のイマージュとは、見慣れた光景や人物(モンロー等)や物語などの想像のイマージュではなく、現実の物(オブジェ)から触発されるイマージュである。