『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ』 吉川洋著

本書は評伝と理論内容の入門的紹介を兼ねたものであり、評伝に比べて理論内容の言及は少ないものの理論の発展過程がよく分かる。文献紹介も豊富であり読書欲が刺激される。
以下、印象に残った部分をメモする。
○効用価値説では投資財の価値を説明できない。このため、投資財を消費財の迂回生産として捉えるのだが、このとき、現在の効用と将来の効用を結合する価格である利子率がいかに決定されるかが課題となる。
シュンペーターは静学的な利子理論を批判し、技術革新によって発展する経済に利子の基礎があるとして、利子、資本形成、企業者利潤、恐慌などは、すべて動学によってのみ分析しうるとした。「利子は結局企業者利潤から流出しなければならないのである」
○超過利潤を目指してイノベーションを競う企業家こそが資本主義発展の原動力だとするシュンペーターのビジョンは、「特別剰余価値」を求めて技術革新に励む資本家像を描いたマルクスのビジョンとかなり重なるところがある。
イノベーションとは非連続的変化である。「馬車をいくら繋いでも鉄道にはならない」
ケインズの「投資家」とは中の上以上の金持ち階級のことである。当時のイギリスでは労働者は貯蓄しない。カルドアもロビンソンも労働所得からの貯蓄性向はゼロと仮定している。(私見:ケインズの「貯蓄は投資家が行ない、投資は企業経営者が行なう」という文言は、そういう時代背景を踏まえないと意味不明であろう)
○利子率をゼロ以下に下げることができないとしても、マネーサプライを増大しインフレ期待を生み出せれば、名目金利はゼロでも、実質金利名目金利-期待インフレ)はさらに低下して投資を刺激することができる。(クルーグマン)これに対し、ケインズは不確実性の高まりによって「投資の利子弾力性」が小さくなると指摘している。(私見:現在の日銀の政策はクルーグマンに基づいているのかもしれないが、いくら国債買いオペしても期待インフレが生じないので「マイナス金利」とアナウンスしている。それでも投資が刺激されないのは、ケインズが正しいことを示している)
ケインズ以前に経済全体の集計量を扱うマクロ経済学は貨幣数量説のみであった。ケインズは『貨幣論』において貨幣数量説を批判することでマクロ経済学を開始した。つまり貨幣数量説は景気循環や不況を説明するツールとしては切れ味が悪いのである。
○『貨幣論』においてケンブリッジ方程式に替わるものとして提案されたケインズの基本方程式
P=E/O+(I-S)/C
(P:消費財価格、E:名目所得、O:実質総生産量、I:投資、S:貯蓄、C:実質消費財生産量)は誤りであるとされているが、ここで初めて投資、貯蓄、総生産量により、マクロ的変動を説明する枠組の探究が始まったのである。マクロ変動の重要要素である雇用量を視野に入れず物価変動のみを考慮したため不首尾に終わったのである。
○しかし『貨幣論』においては、投資が落ち込むことが貨幣数量とは独立にデフレの原因になることが示されている。1890~1896年の不況は卸売物価18%下落に対し、イングランド銀行金保有量は二倍、銀行準備三倍、預金量二倍であり貨幣数量説が成立していない歴史的事例である。(私見:現在の国債買いオペによる日銀当座預金の急増によってもインフレが生じないのは貨幣数量説の反証例であろう)
景気循環において中心的役割を果たす投資の変動要因については、ケインズシュンペーターは一致している。ケインズイノベーションを認めている。
○投資を金融政策によって制御する方法としてケインズが考えたのは「公開市場操作」であり、中央銀行の長期債の売買による長期金利の制御であるが、著者の意見では投資に直接影響を与えるのは資本コスト(国債金利+リスクプレミアム)であるから、ケインズのアイデアを発展させると、中央銀行による株式(ETF)購入に行き着くということである。
(私見:本書は2009年刊行であり、日銀はリーマンショック後にETFを開始しているので、著者の提言が実行されている。しかし既に8年経過しているが、ETF保有残高10兆円超程度の規模であり、国債保有残高400兆円超とは比較にならない。ケインズ派ETFマネタリスト国債買いオペに対応しているようだ。ETF買いオペの成功例とされる香港政府の場合は、ヘッジファンド防衛目的があったが上場時価総額の6%を買い入れている。日本の上場株価時価総額は2017/2で587兆円であるから、これに対する日銀の保有残高の割合は2%弱程度である)
○1929年の大恐慌の原因について、シュンペーター第一次大戦後のイノベーションの後にそれが経済システムに拡散していく「適応」の時期があり、それが原因だとしている。よって実物的な原因であり、貨幣的要因は二義的だとみている。一方、ケインズは恐慌前の高金利が原因だとして、恐慌後の低金利が経済を活性化するとしている。
(私見:宇野理論では米国における基軸産業が鉄道・生産財などから耐久消費財へ移ったことが根本の原因だとしている。(『世界経済の読み方』降旗節雄編著)自動車などの耐久消費財は中間層の高所得化に支えられていたが、当時は米国以外にそのような市場が存在しなかったので、国内需要が一巡した結果、過剰資本になったとしている。そして米国と他の国との基軸産業の違いが経済ブロック化の原因となり国際的に需要不足が生じたとしている。農業不況もトラクタなどの機械化により国際的に農産物の価格低下が生じた結果だとしている。これにより農工分業の国際体制が崩壊し現在の南北問題につながっている。こうしてみると鉄道・生産財を基軸産業とする帝国主義が植民地政策につながり、耐久消費財を基軸産業とする戦後福祉国家自由貿易を重視する政策の違いも明瞭になる。基軸産業の顧客が「国家」から「一般消費者」へ移ったからである。大恐慌と第二次大戦はこの基軸産業の移行過程における調整局面である。このあたりの状況分析は宇野派の方が格段に適確であり具体的であると私は思う。宇野派の段階論の成果は再評価されるべきである)
○著者は、不況対策としてシュンペーターイノベーションケインズ公共投資を重視したのは、両者が目にしていたドイツとイギリスの経済の実情の違いによるとしている。つまりケインズが目にしていたイギリスは日本の失われた10年に対応し、シュンペーターが目にしていたドイツ・オーストリアは戦後日本に対応するという。(私見:これは奇妙な対応である。むしろ逆ではないか。現在の日本には公共投資よりもシュンペーターのいうイノベーションの方が重要である。それも単発ではなく密生したイノベーションを誘発するにはフロンティア開拓が必要である)
ケインズのいう「不確実性」とは、確率計算可能なリスクとは異なり、戦争の可能性、新しい発明、数十年後の利子率など、なにも分からない事象である。そして不確実性に対処する方法は、過去からの延長、市場動向、付和雷同の三つであるとするが、いずれも安定性はもろい。
○古典派経済学は貨幣の価値保蔵手段としての役割を理論的に説明できていない。リスクが確率計算可能であれば貨幣を保蔵する根拠はない。確率とは異なる「不確実性」があるからこそ、利子を生まない貨幣を保蔵するのである。これが「流動性選好」である。
ケインズは総産出量が投資のみに依存すると主張しているのではない。貨幣供給量、期待収益率、リスク評価、名目賃金など様々な要因を認めている。だが最も不安定な要因が投資であり、投資の不安定性が総産出量に大きな影響を及ぼすと主張しているのである。
○投資が不安定である理由は、株式市場の投機による影響、企業経営者の期待合理性の欠如などである。企業の投資は「南極探検」のようなものである。健全なオプティミズムが揺らぐとき、投資は冷え込む。消費の安定性に比べると投資は「暴れ馬」である。
シュンペーターによるケインズ批判は投資により生産関数が変わることを無視していることである。
○著者によるとシュンペーターの『景気循環論』は失敗作であり、何の参考にもならないが、マクロ集計量批判が異彩を放つという。イノベーションというミクロ的ショックが経済全体に波及していく。それが経済の成長と循環であり、総生産量という概念によって分析することはできないというのである。著者はこの考え方を行き過ぎとするが、産業構造の変化や部門間のばらつきをマクロ集計量のみで分析することも限界があり、シュンペーターの発想を取り入れる必要があるという。このような分析は大川一司、ソールターなどに見られるという。ちなみにマクロ経済学のミクロ的基礎づけは似て非なるものであり、シュンペーターの精神と無縁であると喝破している。その理由はミクロの経済主体はみな同じという「対称均衡」の仮定であるが、これはイノベーションとはまったく逆である。
シュンペーター的成長モデル」を標榜するアギオン、ホーウィットなどの内生的成長理論も知的遊戯としている。
(私見:著者は例外として岩井克人のモデルを高く評価しているが、注が1984aとあるだけで、巻末の参考文献にもない。恐らく岩井のSchumpeterian Dynamicsのことであろう)
シュンペーターが貨幣数量説を否定する根拠は、銀行貸出が財・サービスへの支出ではなく、株や土地など資産購入に充てられる場合があるからである。バブル期においてマネーサプライが増大しても名目GDPは増大しなかったことがその例証となる。マネタリストはマーシャルのkが上昇したとか、貨幣の流通速度Vが低下したなどと帳尻を合わせているが、それは同義反復である。
○人口減少が確実視されると将来が悲観的になるが、それは働き手が減少するとGDPが下がるという思い込みにすぎない。GDPの成長要因は人口だけでなく、労働生産性が大きい。人口が減少しても資本蓄積と技術進歩により成長は可能である。
マルクスケインズに共通してみられるのは「投資機会の消滅」であるが、シュンペーターはこれを全面的に否定した。人類の歴史はイノベーションにより欲望の前線を先へ動かすことで、欲望の飽和を回避してきたということである。資本主義が消滅するとしたら、その原因はイノベーションという非合理的衝動の消滅以外にない。しかし資本主義という経済制度は合理主義を土台としている。よって資本主義の発展により、衝動としての企業家精神が消滅することはありうる。個人の効用最大化は少子化をもたらす。ブルジョア階級の少子化傾向をシュンペーターは資本主義衰亡の徴候とみた。つまり資本家の利己心の徹底は、一族ではなく孤立した個人の合理的利己心に繋がるのである。
○最後に著者は青木正直とともにケインズシュンペーターを統合する理論として需要創出型イノベーションによる成長モデルをつくったと紹介している。これはアベノミクスの成長戦略に反映されているようだ。