『世界経済の読み方』 降旗節雄編著

さすが宇野理論というか、マルクス資本論』の根本的欠陥を自ら指摘しつつ科学的に論述が進められている。
本書によると、『資本論』の根本的欠陥は、その内在する論理のゆえに国家の生成を理論的に解明できないという点にある。『資本論』の論理から生じるのは資本家・労働者・地主の三大階級だけであり、国家は経済学体系からは消えてしまうのである。
しかしマルクスのプランでは恐慌と世界市場の理論的解明が最終目標であり、これが解明されなければ具体的社会を対象とする経済学としては未完とならざるを得ない。にもかかわらず、『資本論』から国家が理論的に消えてしまうのであれば、外国貿易による世界市場を理論的に解明できないことになる。問題はそこにあり、マルクスが当初のプランを放棄せざるをえない理由もそこにあるというのである。
このことは『資本論』に基づいて、世界経済を解明することが原理的に不可能であることを意味する。過去に行われたそのような試みはすべて失敗であると断定している。
いや、ご立派というか、よくぞ言ってくれたと思う。『資本論』がいくら資本主義を解明しているからといって、それだけで現状の世界経済が解明できないことはいうまでもない。
特に資本制生産が「何を」生産するかによって、その具体的内容が異なってくるからだ。
この国家論の不在に対処するため、宇野理論は『資本論』に基づいて「純粋資本主義」を原理論としてモデル化したのだが、それは抽象的な関数のようなものであって、そこに「基軸産業」と「国家」いう変数を入力してはじめて、具体の支配的経済体制が出力されることになる。例えば「繊維工業」「重工業」「耐久消費財」を入力すると、それぞれイギリス型、ドイツ型、アメリカ型の経済体制となる。
例えば帝国主義として過剰資本が植民地支配につながるのはなぜか、そして現在ではそれが過去のものとなったのはなぜかという疑問は、基軸産業である「重工業」の顧客が誰なのかを考えれば容易に納得できる。それは鉄道、鉄鋼、生産財などであり、一般消費者が顧客ではない。国家が顧客なのであるから、国内が過剰になれば外国を侵略するしかないのである。満州鉄道が良い例であろう。
そして現在がアメリカ型の経済体制であるが、この「耐久消費財」は自動車・家電製品などであり一般消費者が顧客であるから、植民地支配が適していないことは明らかである。
ところが、著者らによるとこれには二つの点で問題があるという。
一つ目は、自動車(トラクタなど)が農業の機械化を可能にしたことで、第一次大戦前の先進国と後進国との間における農工分離の分業体制が崩壊したことである。これが南北問題として現在に至るのである。
二つ目は、耐久消費財を販売するには一般消費者の高所得が前提となる。このため後進国にアメリカ型の産業が普及するのは困難であり、生き残り策として単一農産物(サトウキビ、ゴム、コーヒーなど)に特化したモノカルチャー型の生産体制とならざるを得ない。
このように「耐久消費財」を基軸産業とするアメリカ型資本主義は全地球規模で展開することが原理的に不可能なのであり、南北問題を解決することはできない。それは重工業を基軸産業とする帝国主義において植民地問題が解決できないのと同様であるということになる。
しかし第二次大戦後において米国以外の諸国が耐久消費財を基軸産業とする米国型資本主義に接近していったのに対し、米国では耐久消費財市場は飽和状態であった。米国の内需拡大の主要因は軍需産業である。GNPの約10%が軍需という不生産的消費支出でありながら、雇用が拡大し国民所得が増えるという奇妙な経済体制となっていた。また総就業者数の三割近くが何らかの軍需関連に従事している。つまり軍需産業がなければ、1930年代の大失業が70年代まで続いていたということである。ただ、この軍事支出はベトナム戦後、減税や社会福祉支出膨張に代替され、現在はGDPの3%程度に低下している。
帝国主義期のドイツ・イギリスのように対外投資・輸出主導型の経済と異なり、米国は内需主導型経済であり、世界工業製品のバイヤーとして非米諸国の産業育成に寄与した。
戦後日本が経済発展したのは、官僚・企業家が優秀だったからであるとか、労働者が勤勉であったからだというのは日本人の主観的な思いであって、客観的には米国の広大な市場という構造的枠組があったからに他ならない。しかしこのことは、米国の外部に米国を上回る生産力を形成することに繋がるのである。
戦後の米国は体質的に資本蓄積が停滞化する内的構造がある。米国内外市場で、米国の主要産業が圧倒され衰退を余儀なくされている。レーガノミックスは財政と貿易収支の双子の赤字を、対外借金と外資輸入に依存して内需型経済を維持したが、現在は完全に破綻しており、サラ金地獄的状況になっている。これはドル暴落の危機となっているが、対外債務の累積により、米国自身による総需要引き締めが不可避となっている。
このように、本書は同じ資本主義であっても、国家と基軸産業という二つの要因により、歴史的に支配構造がどのように異なるのか詳細に分析している。