『恐慌論』 宇野弘蔵著

個別的経験は、社会的関連にまで抽象されてこそ理論化される。(本書22頁)

この一文が本書の性格をよく表している。タイトルは『恐慌論』であるが、著者は現実の恐慌現象を理論的に解明しているのではない。序論で米国の1929年恐慌のデータが掲げられているので誤解しやすいのだが、著者が問題としているのは、そうした具体的データではなく、そのデータが向かっている先に想定される理論である。
著者の見立てではマルクスは『資本論』においてイギリス経済を典型例として参照しているが、資本家・労働者・地主の三大階級によって構成される社会は理論的モデルであって、現実のイギリス経済には前近代的な遺制や不純な要因が多々あったわけである。「抽象」とはそうした要因にとらわれることなく、それが三大階級へ全面的に分解した「純粋資本主義」へ向かう傾向的法則を解明するということである。
同様に「恐慌」についても、それを原理論的に解明するには「純粋資本主義」における「恐慌」としてモデル化する必要があるとしている。つまり著者の解明する「恐慌」は現実の恐慌ではない。だからといって現実の恐慌を無視しているのではなく、それを抽象して傾向的法則を解明しているのである。
その含意は、歴史上の恐慌現象を一般的なサイクルとしてとらえるコンドラチェフなどの周期説は没概念であるということだ。一口に恐慌といっても、それは資本主義の発展段階によって性格が異なるからである。著者のいう「抽象」とは現実の無視ではない。逆である。それは諸事象の異質性・個別性を注視するものである。
そこで著者は歴史上の恐慌現象の中で何が純粋資本主義へ向かう典型例かを探るのである。
恐慌の歴史は古く、1634年のオランダのチューリップ恐慌から南海バブルなど多々あるのだが、著者はこれらの恐慌は産業資本成立以前の商人資本による恐慌であり、原理論の恐慌として典型例ではないとしている。その後に生じた九つの恐慌もフランス革命、アメリカ独立などの経済外的事情によるもので規則性はないとしている。恐慌が周期性を持ち始めるのは1820年代からであり、1860年代までイギリスでは規則正しく恐慌が繰り返されている。ところが1870年代以降はイギリスの好況・不況の過程が不規則化しており、著者の見立てではその原因は、ドイツ・アメリカの資本主義の発展にあるとしている。
そこで著者は恐慌現象が「単なる貨幣、金融等の表面的な部面に留まらないで、社会的再生産過程自身に基礎を有するものとして一定の法則的性格」を示している典型例は1820~60年代のイギリス資本主義における恐慌だとしている。
私などは1929年の米国恐慌こそが典型例のように思うのだが、著者によると戦争によってしか解決しえないような恐慌は、もはや資本主義の内在法則としての恐慌とは言えないのである。(補足:ニューディール政策が失業率改善に無効であり、米国の参戦まで失業率が改善されなかったのは事実である)
著者のこのような恐慌の典型論は『資本論』英語版序文でエンゲルスが指摘している恐慌の時期と同じであり、それを参照した後知惠のような印象を受けるのだが、恐慌の本質を把握するうえで攪乱要因(外国貿易・商業資本の活動など)を排除していく必要があるのは確かであろう。つまり恐慌の原因を再生産過程以外の外的要因に求める理論はすべて没概念である。
また著者は労働者の過少消費、拡大再生産表式における部門間不均等発展などに恐慌の原因を求める見解も退ける。それらの要因は、全面的恐慌の必然性と周期性の説明にはならないとしている。著者が恐慌の原因とみているのは労働市場の特殊性であり、そのことが本書で解明されている。

著者は景気循環が<好況-恐慌-不況>のサイクルをなすものとして、まず好況期の説明から始めている。好況期においては資本構成が変化することなく量的に増大するが、その場合でも固定資本の更新は必要である。これは一部の資本が更新までの償却資金を積み立て、他の資本がその償却資金の融通によって更新するという関係になる。これは生産技術が不変の場合でも何らかの固定資本を使用する以上は当然のことである。だが、好況期には商品価格が低落しないので、資本構成の高度化によって対応する必要はない。設備更新といっても、それは省力化するものではなく従来技術の設備更新である。このため生産拡大に必要とする労働者人口は増大することになる。
実際の経済活動においては常に生産方法の改善が行われているのだろうが、純粋資本主義における「好況期」はそういう傾向を理論的に想定できるということである。
利潤を目的とする資本は、高度化しなくても利潤が見込まれる好況期は改善にむけるエネルギーは鈍化するのであり、不況期の価格下落により利潤獲得が困難な場合にこそ生産方法の改善が死活問題となるのである。このことは不況期に固定資本の更新が集中するということで好況期への移行を準備することになる。
また銀行信用も再生産過程から遊離したものではなく、産業資本の生産過程を促進するものとして再生産過程と結合している。つまり産業資本は流通過程で製品販売が完了するまで待つことなく、銀行で手形を割り引くことにより、生産継続に必要とする資金を得ることができるのである。著者は利潤率と利子率がしばしば相反した動きを示すのは、固定資本更新の集中による資金需要の時期と生産方法改善による利潤率上昇の時期がずれるからであるとしている。(利潤率回復の基礎の上に利子率低下が生じる)
好況期には資本蓄積の増進により生産手段の価格回復を通して一般的物価騰貴を見る。一般に完成品に比較して原料品価格が騰貴する。価格騰貴は資金の投機的利用を促す。銀行は生産規模が拡大しつつあるかぎり、銀行券の発行を増加しうるのであり、インフレが生じる。
ところで一般商品は価格が上昇すれば増産することにより需給が安定するが、労働力商品は増産することができない。不況期から好況期への移行時期においては相対的過剰人口により需給を調整できるが、好況期における労働力不足には対応できず、賃金騰貴を回避することはできない。一般商品の価格騰貴は資本の利潤を圧迫しない騰貴であるが、賃金の騰貴は資本の利潤を圧迫する。
賃金が上昇すると商品価格が上昇するというのは俗論であり、賃金と商品価格は無関係である。なぜなら賃金は労働力商品の価値であるが、それは商品に転嫁するのではなく、商品の製造において消費されることにより、まったく別の価値になるからである。
(私見:実際の取引においては価格転嫁しうるか否かは種々の事情が関与するかもしれないが、価値法則としてみる限り、原料価値が上昇する場合は、それに伴って商品価値も上昇するのだが、賃金が上昇しても商品価値は上昇しないのである。つまり労働者の産出する剰余価値は賃金価値とは無関係であり、賃金が上がったからといって剰余価値が増えるわけではない。したがって賃金が上昇しても製品価値は不変であり、ただ利潤が圧迫されるだけである。宇野派は労働力価値の特殊性などと説明を簡素化するのだが、このロジックを丁寧に説明すればもっと分かり易くなったのではないかと思う)
物価騰貴に伴い賃金も騰貴するが、物価騰貴による利潤率の維持は幻想的なものであり、投機的に想定された価格を目当てに累積される商品在庫は、その価格を実現され得るものではない。かくして賃金騰貴による利潤率減少こそが現実の姿であることが恐慌により暴露されることになる。

こういう説明を読んでいると、典型例とするイギリス経済を分析しているわけでもなく、一体いつの時代のどんな社会を想定しているのかと思ってしまうのだが、著者はあくまで現実から抽象された法則的傾向としての「純粋」恐慌を論じているのである。